リタイア婦人 りゅうたま日記

リタイア婦人りゅうたまの日々のあれこれ

クリスマス・イブの随想

クリスマス・イブ
最近手抜きが目立った料理担当のオットですが、久しぶりにやる気を出し、低温調理器で鴨肉を料理し、サラダとチーズを添え、とりあえず華やぎ感をだした夕食となりました。
低エナジーのポンコツ夫婦ですので、ささやかなクリスマスディナーで十分です。


実家はクリスチャンだったので、子供の頃クリスマスは、宗教行事。
父方の祖父の家に一族郎党集い、お祈り、讃美歌合唱、聖書朗読を経た後、ようやくご馳走にありつけたのでした。
各人プレゼントを準備し、「もしもし亀よ」(なんとも日本的な!)を歌いながら、プレゼントを右側にいる人にどんどん渡していき、歌が終わったところで手にしていたものが自分のクリスマスプレゼントとなりました。
ですので、「夜になるとサンタさんが」と言う演出はなかったですね〜。


祖父はキリスト教篤志家の弟子で、慈善事業をしていました。2人とも壮大な社会愛は持っていたようですが、家族愛については無頓着のようでしたね〜。
祖父は謹厳で、相好を崩して孫に接することがなかったし、篤志家の方は、戦後、妻が四苦八苦して生活必需品を入手してきたら「ワタシが神に祈ったおかげだ!」と言い放ったとかw
明治のオトコは、なんだかしょうがない。しかし、社会の最少単位である家庭の幸福あっての社会の幸福って思わなかったのかしら??


20代のバブルの頃は、クリスマスはカップルのための日。
私を含むはぐれ者のグループで、教会のミサを見に行ったら、信者以外はほぼカップル。
レストランも私たちグループ以外はカップル。どのカップルも女性は壁側、男性はその反対側着席していた上、皆雰囲気が酷似していたので、クローン人間の集団に見えて、SFの世界のようだったわ。


裏原宿には、地上げによる広い更地があったのですが、そこに大きな木が1本だけどーんと植えられていて、クリスマスのイルミネーションでキラキラと輝いたのが印象的でした。
きっとリッチな土地の購入者のイキな計らいだったのでしょう。都会の暗がりの中に華やかにも儚く輝くツリー
「バブル」と聞くと、必ずこのツリーを思い出します。


今年は全世界的に静かなクリスマス。
コロナも去り、「こんな時もあったなあ」としみじみと思い出せる時が早く来るといいのだけど