「森瑤子の帽子」を読んで…。
島崎今日子著「森瑤子の帽子」を読みました。
家族や友人、編集者など、ともに過ごした人々によって森瑤子の様々な側面が語られています。
欧米の翻訳小説のようなテイストの彼女の小説はセンシュアルでお洒落。小説さながらの英国人の夫との華麗なハイライフもフィーチャーされていた彼女は、80年代の輝くアイコンでした。
私は80年代後半に1回、森瑤子さんご本人を見たことがあります。
会社主催の顧客向けイベントがあり、いくつかのアトラクションのひとつに「占いコーナー」があり、当時若手社員であった私は受付をしていたのですが、そこにギラギラとしたオーラを放つ女性をセンターに、V字型に並んだ女性軍団が現れたのです。
それはあたかも大奥総取締役登場シーンのよう…。
軍団はイベントで講演を終えた森瑤子と編集者やPR会社のスタッフ達でした。
「先生、余興に占いでもいかがですか?」
取り巻きの一人が誘うと、
「……今日はやめておくわ」
と森瑤子。
その時私が目にしたのは、彼女の鼻の頭に浮かぶいくつもの大粒の汗でした。
それは、肉体労働者のもののようであり、彼女に似つかわしくなかった。
なんだかハイブランドのスーツの下に身につけている下着がシルクではなく、木綿の安い量産品だった事に気づいたような、居心地の悪さを感じたものです。
「森瑤子の帽子」によれば、私生活では、母そして娘との確執、夫との不和、金銭問題など様々な闇を抱えていたようです。そんな中で、「華麗なる女流作家 森瑤子」を張って生きていくのは相当なストレスであったのは想像に難くありません。
イベントの数年後、癌で亡くなってしまうのですが、あの大粒の汗は、体の苦しさとともに心の苦しさの表出であったのでしょうか…。
80年代バブル期は、森瑤子や安井かずみなど、迫力のある、華やかにして成熟した女性がいた稀有な時代で、彼女たちのコアには圧倒的な自意識と美意識があった。地球の内部で煮えたぎるマグマのような…。
私はいま、その頃の彼女たちの歳をとっくに超えているけれど、あの領域に行くのは到底無理…。
楽な方へ、楽な方へと流れてしまいますwww
いつも行く図書館には「森瑤子」のコーナーはありません。「マ行」のその他大勢の中に、数冊が、あまり借りられている形跡もなく、ひっそりと佇んでいるばかり…。
時代に消費された作家かもしれませんが、たまには昔好きだった香水をまとうように再読してみたくなりますね…。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。